「日経アジア賞」
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受賞者紹介

経済発展部門李 憲宰氏
韓国元財政経済相

科学技術部門楊 煥明氏
北京ゲノム研究所主任(中国)

文化部門ウルワシー・ブターリアさん
作家・出版社共同創設者(インド)


 
 経済発展部門
  李 憲宰氏 韓国元財政経済相
 
韓国金融・産業再生に尽力

 「私の役割は、人の先頭に立って緊急復旧作業をする消防隊長だった。完ぺきでなくても、とにかく市場や企業活動が正常化できるような手を早く打つことだった。抜本的な治療法は走りながら考えればよいと思った」

 1998年2月に発足した金大中政権で金融監督委員長に就任、その後財政経済相となり、韓国の金融・産業改革を指揮した。

 当時の韓国経済は、通貨経済危機の直撃を受け「朝鮮戦争時以来の混乱期」だった。企業や金融機関の経営破たんが相次ぎ、失業者が急増した。金大中氏が、最優先課題である「経済の正常化」のカギを握るポストに起用したのが李憲宰氏だった。

 この人事にかかわった人物はこう語る。「李氏は前例主義の役所で、独創的な政策を次々と打ち出した異才だった。企業経営の経験もあり、改革の旗振り役として最も適任だった」

 李氏は市場機能を正常化するにはまず金融機関の経営を健全化させる必要があるとみた。33あった銀行の経営内容を総ざらいし「優良行」「条件付存続可能行」「再生不能行」に3分類した。98年6月には「再生不能」と判定した5行を強制整理。条件付存続可能の7行には、合併か外資導入を迫った。

 「強制整理には反対もあった。抵抗勢力もいた。でも、無理やり救済すれば、被害はもっと大きくなっただろう」。李氏はこう振り返る。

 李氏は、一方で再建可能行に果敢に公的資金を投入した。98年以降に韓国が投入した公的資金は157兆ウォン(15兆7000億円)。国内総生産(GDP)の30%にあたる。

 公的資金を受けた銀行の幹部は全員退任させた。「4万人以上の銀行員が職を失った。経営責任を問うのは当然だ。さらに、人間を交代させないと改革は進まない」。李氏は、改革を渋る銀行に乗り込み、全役員の辞表を提出させる強硬手段にも出た。

 金大中政権の5年間で33あった韓国の銀行は18になった(交渉中の新韓金融持ち株会社による朝興銀行買収を含む)。98年3月末に88兆ウォンあった銀行の不良債権は2002年末に15兆ウォンに急減した。

 「金融と産業を一体再生しないと経済は活性化しない」。李氏は、よみがえった銀行主導で産業再生も進めた。ここでも過去のしがらみを断ち切り、現代、大宇財閥の解体も進めた。

 「歴代最高の閣僚」。2月に発足した盧武鉉政権の閣僚による合宿研修で、こんな評価が相次いだ。前例にとらわれない柔軟な発想と行動力、名声や富に無頓着な性格に触れ、ファンになる経済人も多い。

 「世代交代を最も強く主張したのだからもう出番はない。娘も頑張っているし」。テレビ記者出身の長女は盧武鉉政権で青瓦台(大統領官邸)入りし、副報道官に就いた。本人は大好きな酒を控え、法律事務所の顧問などをしながら「企業統治や公企業の民営化について研究中」という。(ソウル=玉置直司)

<略歴>
 イ・ホンジェ 韓国の名門・京畿高校からソウル大法学部を経て1969年に財務省入り。20代の事務官時代、闇金融市場退治のため「八・三市債凍結措置」を立案、実行して政官財界で注目された。金融政策課長、財政金融審議官(局長級)と順調に昇進したが退官。81年米ボストン大大学院に留学する。
 高校の先輩である大宇グループ創業会長の金宇中氏のスカウトに応じ、大宇(商社)常務、大宇半導体代表取締役専務などを歴任。韓国信用評価社長を経て、97年12月に大統領選に当選した金大中氏の指名で緊急経済対策委員会実務企画団長に。政権発足とともに金融監督委員長。2000年に財政経済相就任。中国・上海生まれ。59歳。


[記念講演の模様はこちら]


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